[Top page] [日刊 研究最前線 知尋] [Discovery Saga総合案内] [大学別アーカイブス] [Discovery Saga会員のご案内] [産学連携のご案内] [会社概要] [お問い合わせ]

筑波大学 研究Discovery Saga
2025年2月17日

「心を常に軽快に!」

恩師の言葉を胸にしまい、新たな道を切り拓く

【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
情報学複合領域環境学生物学工学農学医歯薬学
【Sagaキーワード】
AI/インターネット/プログラミング/システム開発/ビジネスモデル/システム構築/海洋/人類学/マネジメント/文化人類学/東北地方/スキル/高齢化
  • CHANGEMAKERS
  • #008

    アクセンチュア ビジネスコンサルティング本部
    人材・組織変革プラクティス日本統括
    マネジング・ディレクター
    本徳 亜矢子(ほんとく あやこ) さん

    PROFILE


    1999年、筑波大学大学院を修了後、
    アクセンチュアに入社。
    業務プロセス/システム構築や事業統廃合に関わるプロジェクト支援等、
    幅広くコンサルティング案件を手掛ける。
    近年は、人材組織変革の専門家として、
    大規模な企業変革における人と組織の成長戦略策定と実行支援、
    デジタル人材育成、チェンジマネジメントを中心に数多くのクライアントを支援

    概要

    世界有数のコンサルティングファーム、アクセンチュアで、人材育成や組織改革のコンサルタントとして活躍する本徳亜矢子さん。筑波大学在学中は、文化人類学を専攻し、クジラの研究をしていました。どんな大学生活を送っていたのか、そして、当時の経験や指導教官の言葉が、今の仕事や生き方にどのように影響を与えているのか...本徳さんに、お話を伺いました。 Q まず、現在どんなお仕事をされているのか、簡単にお話しいただけますか?
     アクセンチュアは、世界最大級の総合コンサルティング企業であり、デジタルやテクノロジーを活用してお客様である企業の全社変革の実行を支援しています。
     そして、企業がビジネスモデルを転換したり新規サービスを創出したりするような大きな変革をする際には、必ず組織体制や人材やカルチャー変革が必要になるのですが、私はその組織・人材の変革支援を専門にしています。
     近年ではとくに、生成AIによりほぼ全ての業務が何らかの影響を受け、従業員もリスキリングや働き方の変化が求められつつありますが、まさにこのような変革をお客様と一緒に創出して実行していくというのが私の今の役割です。 Q 今30年、40年ぐらいのスパンで見ていくと、日本の会社組織は大きな曲がり方に来ていて、特に50代も含めた人材をどうリスキルしていくか、あと、組織をどういうふうに立て直していくかみたいなことが大事になっていますが、そういうこともやっていらっしゃるのですか?
     そうですね。まさにこれからの大きなテーマの一つになると思います。
     今、労働力人口の減少と高齢化の中で、企業においてはいかに50代以上の人材に活躍いただくかが大きなチャレンジとなっています。企業内で培ってきた知識や人脈を活かしつつ、生成AIを活用して新たなスキルを獲得することが求められます。加えて、日本型経営モデルと言われる、従来の組織運営、人事制度、カルチャー等は保持すべきところは残しつつ、時代や状況に合わせてアップデートしてくことが必要です。
     リスキルもカルチャー変革も、言葉で書くと簡単なのですが、実際に青写真を描いて具体化し、実践し成果を出すに至るのは本当に難しく、思う通りにいかないことも多々あります。私も毎回お客様と共に悩みながら改革に携わっていますが、そんななかでも一つずつ成果を出し変化を実感するというのがこの仕事の喜びでもあります。 Q そういう本徳さんですけれども、実は大学時代、文化人類学でクジラについて研究されていたそうですね。そのお話を聞かせてください。
     私は、子供の頃からクジラという生き物に興味がありました。育ったのは岡山で瀬戸内海に近いところなのでクジラは身近ではなかったのですが、クジラという生き物にとても興味があったのです。
     大学で何を勉強しようかと思った時に、周囲の友人は文学部とか経済学部、商学部といった学部を選択する人が多かったのですが、私はせっかくだから好きなことを思いっきり勉強してみたいと思いクジラを選びました。
     では、クジラをどういう角度から勉強するか? 例えば海洋学や生物学など、いろいろあると思うんですけど、たまたま『クジラの文化人類学』っていう本を見つけまして、こういう学問があるんだなと!
     その時、初めて文化人類学という言葉を知り、「なんか面白そうだな、クジラと文化人類学っていうところで何か勉強できないか」と高校生の頃に思い立ったんです。 Q 高校生の時にそう思って、その先、目指す先が筑波大学ということに、どう結びついたんですか?
     高校に、たまたま筑波大学出身の社会科の先生がいらっしゃったので、ちょっと話をしてみたら、文化人類学とか民俗学とかそういうことをやっている先生がいるよ、ということを教えてもらいました。
     その先生が母校を勧めてくれたんですね。
     あと、私の母親が筑波大学の前身である東京教育大学出身で、母親の同級生が、当時、筑波大学で先生をされていたんですよね。なので、母からもやっぱり筑波っていう言葉は聞いていたので、あまり、深く考えずに、「だったら筑波に行こう」って思ったんです。 Q 筑波大学に行ってみて、どういう感じでしたか?
     やっぱり生活がすごく変わりました。
    (大学院の研究室の友人と(筆者は左端))

     それまで岡山で家族と一緒に暮らしていて、学校と家の往復だけだったのが、一人暮らしを始めるために家を出たことが、すごく変化としては大きかったです。
     勉強や大学のことよりも、生活自体が変わったということが自分にとっては大きかった印象があります。
     入学して様々な講義を聴講するなかで、大学で学ぶことは高校生までの受験勉強とは全然違うんだな、っていうことが分かるなど、いろいろ発見がありましたね。
     学ぶことも幅広いですし、これまで聞いたことがないような学問を筑波大学ではやっている人が大勢いました。
     例えば、オリエント考古学とか宗教学とか、そういう学問をやっている人が、当時、私の周りには多かったんですね。考古学のような、ちょっと想像したことすらないような学問をこんなに熱心にやっている人がいるんだと思って、すごく新鮮でしたね。 Q 一人暮らし、最初はどちらに
     私は平砂(学生宿舎)ですね。
     1年だけそこに居て、2年生からは近所のアパートに移りました。 Q 筑波では、「筑波タイム」というのがあるみたいですね。朝から晩まで議論もできるし、電車で帰らなくてもいいとか。そういうご経験はありますか?
     ものすごくありますね。
     これはすごく独特で、大人になってからも、こういう環境ってないなと思うんです。
    通常の学生生活だと、学校と自宅のようにオフィシャルとプライベートがわかれていますが、筑波ってある意味それがないんですよね。
     通学中に会う。そして、教室で会う。寮に帰ってきて、寮には吉池っていうスーパーがあったんですけど、スーパーに買い物に行っても人に会う。お風呂も、今もそうですかね?共同のお風呂があって、お風呂に行っても友達に会っちゃうんですね。
     なんて言うんでしょうね。
     とても不思議な感覚です。
     ずっと合宿してるような感じでしょうか。 Q 社会人になってみて、そういう感覚のところはないですか?
     ないですね。やっぱり。
     例えば、今、社会人になって、会社で何か嫌なことがあっても、家に帰ったらちょっと距離を置ける。
     心理的にも物理的にもそれができるってことがあると思うんですけど、筑波ってそれがないですよね。
     何かあってもすぐみんなに会っちゃう。
     ただ、私の場合、それはそんなにネガティブなことはなくて、本当にみんなと仲良く毎日を楽しく過ごしました。 みんな一人暮らしが初めての18歳や19歳なので、いつもみんなでご飯を作って食べるとか、誰かの部屋にずっといるとか、本当にそんなことばっかりやってましたね。 Q 学生時代の体験ってその後の社会人になっても大きな影響を与えると思うんですけど、やっぱり今も忘れられないものですか。
     忘れられないですね。
     私、「人との距離が近い」ってよく言われるんですね。
     心の距離というか、例えば、初めて会った人とでも結構すぐいろんな話をするとか、自分のことをついつい話してしまうとか。
     これって結構、筑波の時の経験が影響しているのかな、と思うことがあります。
     筑波って、あまり隠し事ができないというか、みんな隣に住んでたり、上の階に住んでたり、寮の廊下を歩けば誰かに会ったりするようなところなので、何やってんの?とか、どこ行くの?とか、すぐにそういう会話が自然と出てきて、そういう風に人との距離を縮める経験をずっとやってた感じがしますね。 Q そういうことで言うと、私は非常にびっくりしたのはクジラを研究されて東北地方の宮城県の鮎川(石巻市)にずっとおられたっていうこと。地域の中に入っていくのは、人との距離が近くないと入れないじゃないですか。
     そう言われてみるとそうですね。
     ただ、もちろん最初からうまくできたわけではなくて、最初に行った時に役場に行ってみたりとか、捕鯨会社を覗いてみたりとか、それこそ地元の商店みたいなところを覗いてみたりして、さてどこから行こうかって...。
     でも初回は、捕鯨会社の人に声をかけられずに町をぐるっと歩いて帰ってくるとか、そういうことも実はあったりしたんです。
     でも、ここでまごまごしてても進まないなと思い、意を決してもう1回、捕鯨会社に訪ねてみてとかですね。
     当時、若さというのもあったと思うんですけど、1回そうやって入り込んでしまうと、すごくよくしていただいて。
     「ずっとここに来るんだったら、あそこの民宿泊まんなよ。」みたいな感じで、民宿を紹介していただいて。「じゃあ、そこに夏中いて毎日解体場に来て調査すれば」とか、なんだかんだ、いつも夜になると「今日ご飯食べるから、おいで」みたいなのとかですね。本当にすごくよくしていただきました。
     ただ、今振り返ると、あんなに良くしていただいたのに、御礼が尽くせていなかった、恩返しできていない、といった反省もあります。当時の鮎川の皆様に直接恩返しするのは難しいですが、当時受けた恩は折に触れて思い出します。
     そういう意味で、今思うと、すごく活かされているのかもしれないですね。 Q 現地ではどんな研究をしておられたのですか?
     クジラって漁期があって、確か当時7月1日から9月末までが漁期だったんですけれども、例えば鮎川ではその年にツチクジラ20頭とか、捕獲枠が決まっているんです。
     現地では、毎朝のクジラの解体と流通先、分配方法や調理方法、捕鯨関係者へのインタビューが主な調査内容でした。
     沿岸捕鯨なので日帰り漁が中心で、前日捕獲したクジラが夜中岸壁につながれていて、翌朝の4時ぐらいからクジラの解体が解体場で始まるんですけど、クジラが捕獲された日は毎日それを見学させてもらいました。
     仕事中に話しかけると怒られるんですけど、終わるところで、あの肉はどういう肉だとか、この道具は何かとか、この肉はどこに運ばれるのかとか、そういうことを聞きました。
     今考えると本当にずうずうしいんですけど、クジラが獲れなかった時や漁がなかった日は、捕鯨船に乗っている方々の自宅に伺って、例えば若い頃、南氷洋でシロナガスクジラ取ってたとか、大型捕鯨でこんなことやってたみたいな話をインタビューしたりしました。 Q クジラの研究だと捕鯨の是非論みたいな研究もあるんですけど、日本の場合、文化人類学的な視点からですと日本人と沿岸捕鯨の長いつながりみたいなことが浮かび上がりますね。
     まさにそうですね。
     私が結局論文で書いたのも、アメリカがやっていた商業捕鯨のような捕鯨と、日本が昔から沿岸でやっていた沿岸小型捕鯨は別物なので、商業捕鯨は規制すべきだけれども沿岸小型捕鯨は伝統文化だから守っていかなければいけないのではないかという、仮説から始まった研究でした。
     ただ話を聞くと、そんな綺麗事ではなくて、やっぱり皆さん商業捕鯨が禁止になったから沿岸小型捕鯨に来たっていう方が多かったりするので、そういうのが私は非常に興味深いなと思いました。
     クジラがある生活っていうんですかね。
     鮎川でもやっぱりクジラ肉が取れたら近所の人に分けてとか、いつも食卓にクジラの肉があるとかですね。
     クジラの季節になると人が集まってくる、人とのつながりが確認される、みたいなのが面白いと思ったんですよね。 Q 大学院にも行かれたんですよね。
     就職することも考えたんですけど、その時、鮎川で研究していて、もうちょっとクジラの勉強がしたいなっていうのもあったので、修士課程に進みました。
     きっと、筑波大学の居心地が良かったんでしょうね。
     あと2年研究ができるとなって、大学院の1年生の時にちょっと違う観点からクジラを勉強しようと思い立ち、小笠原に行きました。
     小笠原の父島はホエールウオッチングが盛んなところで、捕鯨ではないんです。
     小笠原のユースホステルがあるんですけど、そこに住み込みで働かせてもらいました。夏休みプラスアルファだったと思いますが、約3ヶ月。
     その時期は、ホエールウオッチングもそうですけど、クジラやイルカに癒されようと、観光客がたくさん来るんですよね。
     「なぜ人はクジラを見に来るんだろう?クジラで本当に癒されるのか?」と、次はそっちの興味が湧きました。
     日本の中でも、古くから捕鯨で生計を立てている人たちがいる一方で、わざわざ小笠原までクジラやイルカに癒されに来る人がいる、ということに関心がありました。ですから、ユースホステルを訪れる人たちに「なんでクジラを見に来たいのか?」とか「見てどうだった?」とか、いろいろ話を聞いたりして。
     そういう活動をやりながら小笠原で楽しく過ごしました。この時の経験が、今の言葉でいうと多様な価値観を許容するとか、そういうことにつながるのではないかと今では思います。 Q 素晴らしいですね。そういう充実した大学・大学院生活をした後、最初からアクセンチュアですか?
     そうですね。
     新卒で入社しました。 Q また、これもなんとなくつながっているようで、つながっていない。
     つながってないですね。 Q どういう経緯だったんですか?
     これはですね。
     先ほど申し上げたように、大学院の1年生の時に小笠原に行きました。そして、2年生で修士論文を書かなければいけないのですが、修士論文の研究は千葉県の和田浦の捕鯨基地でやるっていうことを決めていたんですね。
     調査をしっかりするために漁期はずっと千葉にいるつもりで捕鯨会社とも話をつけておいたので、早く就職先を決める必要がありました。
     要は、準備などのために6月ぐらいには千葉に行きたかったんですね。
     そのために、早く内定を出してくれる会社で決めなければとなると、外資系が早かったんですね。
     本当にお恥ずかしいんですけど、あんまり就職について考えてなかったんですね。
     ただ唯一、岡山の田舎から出て来て筑波に6年間いたので、次は東京で働くっていう明確な目標はありました。
     東京でバリバリ働くと、と言っても正直、業界とか職種のこととかよくわからなかったんです。
     当時は、今と比べるとあまり情報もなかったですし。
     インターネットもまだそんなになかったので、マイナビなどが発行するそれこそ電話帳みたいな就職情報誌を見まして。本当に何も考えずに行ったんです。
    (研修室の友人と大学院の修了式で(左側が筆者))

     会社説明の際に、面接官だった社員がめちゃめちゃ楽しそうだったんですね。彼らのお話を聞くと、すごく面白いことやってそうな会社だなと思いました。
     逆に言うと、企業研究も何もしてない。
     そんな私なんかをよく採用したなって思うんですけど、本当にすぐに内定をいただけたので、もうこれでいいなと思ったんです。 Q それで今やマネジング・ディレクターとして20年くらいですか?
     1999年に入社しているので、約25年です。まさかこんなに長くいるとは!
     昔は、当社は今よりもっとシステム開発などが中心だったので、新入社員は、いわゆるプログラミングなどシステム開発の仕事をずっとやることになります。
     ただ私はクジラの研究しかしていませんでしたし、当時は大学でプログラミングといった授業もほぼなかったので、あまり知らなかったんですよね。
     それを会社に入ってやると聞いてびっくりしたぐらいですね。
     「こんなことやるの?」と。
     今でこそこんなに明るくやっておりますが、最初の数年は暗かったですね。
     今思うと、辛いし、もう「やめよう、やめよう、こんな仕事できない。」って、ずっと最初の頃は思ってましたね。
     やっぱり難しかったです。正直私からすると。
     何が一番かというと、そもそもやってること自体がわからないっていう難しさですかね。 Q 25年経って幹部にもなられて、もちろん山あり、谷ありだと思うんですけど、ご自分にとって筑波大学で過ごした時代とは、どんな時代と言えますでしょうか?
     今回、このお話をいただいた時に私もいろいろ振り返って考えたんですけど、なんて言うか、やっぱり私の行動や思考の基本的な部分って、筑波大学で教えてもらったものかなって私は思っているんです。
     それは当時の教授だったりとか、周りの研究室の仲間たちから教えてもらったことなんです。
     私はよく、「本徳さんって、パワフルさと軽快さを両方持ってるね」って言われるんですね。
     パワフルさっていうのは、目的達成のためにこうやるべきだって決めたら絶対にやってやるというか、なんとかしてプロジェクトを前に進めるとか、交渉をなんとしてでも続けて進めていくみたいなことです。こうやるべきだって思ったらそれを突き通すために、目標に向かって突き進んでいくパワフルさがあると言われることが多いんですけど、もう一つすごくよく言われるのが「軽快だね」ってことなんですね。
     自分なりにいろいろ考えていくと、これこそ私は、筑波大学で学んだことだなと思っています。
     この「軽快である」ということですね。
     当時、恩師の2人の先生と日々過ごす中で、「心を常に軽快にしろ」っていうのを先生たちがよくおっしゃってたんですね。
     それは研究においても人生においても大事なことだっていうことをよくおっしゃっていて、先生たちはそれを実践している方だったんです。
    (恩師の西田正規先生(左)と
    佐藤俊先生(右))

     先生が良くおっしゃっていたのは、「人が心に屈託を持つとか、心が重くなる時は、だいたい、あれやんなきゃとか、あの人にこれ言わなきゃとか、どうしよう、どうしようって、ずっともにゃもにゃ考えていると心が重くなって、屈託だらけの人間になるし、そうすると心が重いし、楽しくもない。」ということです。
     心を常に軽快にするということは、やるべきことをさっさと済ますということで、勉強でも仕事でも「ごちゃごちゃ言わずにさっさとやれ」みたいなことですね。あるいは、やらなくていいことはきっぱりやらない、ということも教えていただきました。
     あるいは、「"考える"と"悩む"は違うんだぞ」とも。
     考えてちゃんと解決して一個一個潰していくみたいな考え方と、永遠の堂々巡りみたいに悩むのは違いますよね。
     答えがなくてずっと悩むことと原因や解決策を整理して物事を進めることは全然違うみたいなことを、先生がずっとおっしゃってたんですよね。
     私、その時は、「先生は簡単に言うけど、そんなことできないよ」って思ってたんですけど、今思うと、私のこの軽快さの原点ってあれだなとすごく思っています。
     それが多分、今の私の仕事にもすごく活かされているので、周りから見ると「本徳さんっていつも気楽そうにやってる」ように見えるんですね。
     「それはこうやってやればすぐできるじゃない!」みたいな感じで、私はすぐ言っちゃうんですね。
     軽快であることって、私はすごく大事だと思うんですけど、意外と日本人ってこれを大事にしないなって思っていて、深刻そうに考えたり、簡単なことをわざわざ難しく言ってみたり、いつまでも解決しないで課題を抱えていたり...。
     先生たちの生き様を間近で見ていたことが、今、私がこの仕事をやってることにつながるのかなって思うので、そういうところはすごくありがたいなって思いますね。
     いい先生に出会えてよかったなと思います。  Q.今回、二人の先生に連絡されたそうですね。

     大学のご厚意で連絡先を教えて頂き、まずメールをお二人に出したら、それぞれからお返事いただけました。
     先生ご自身の近況、また、20年以上直接連絡してなかったんですけど「周りの人の話から本徳さんが社会で活躍していることは知ってました」というようなことを書いてくださって、嬉しかったです。
     あと、もう一つ、今の私に大きく影響を与えていると思うのが、やっぱり筑波大学のユニークさですね。
     筑波大学での学生生活は、いわゆる普通の女子大生みたいな感じではないと思うんですよね。
     当時はそんなにおしゃれなレストランに行くわけでもなく、東京の女子大生みたいにハイヒール履いておしゃれして何かするわけでもないので、女子大生ってこうでなければいけないみたいなのに縛られないというか。
     私は私でいいとか、人と違っても別にいいじゃんとか。
     そういうことを突き通している友達が周りにいっぱいいたので、人と一緒じゃなきゃいけないみたいなことに追われるというか、迫られることがなかったのが筑波の良さかなと、私はすごく思いますね。
     東京などの大都市にいると、いろんな大学の学生が周りにいて、こういうふうにしなければいけないとか、就職活動に向けてこういう準備しなければいけないとか思ってしまう気がします。ただ、筑波の人って本当に自由な人が多くて、私の周りなんかは就職とか一切考えないでずっと考古学の発掘やってる人とか、宗教学や哲学の難解な本をずっと読んでいて「この人就職とか考えてるのかな」と思うような変わった人がいっぱいいたので、こうでなければいけないみたいなのを、気にしなくなったなって思いますね。 Q それはすごいことですね。同調圧力がないのと、多様性があるということで、今まさにそこが我々が考えなきゃいけない社会のポイントになっているので、先取りしてたわけですね。
     当時は、"多様性"なんて言葉もあんまりなかったと思うんですけど、今思うと、筑波大学の中には多様性がありましたし、他の一般的な大学のことを考えても筑波大学は独特のところでしたね。
     筑波のいいところって、それで卑屈になるんじゃなくて、なんか自信につながるところがありますね。
     私たちは私たちでいいのよ!みたいなのが位置づけとしてあるような気がするんですよね。
     すごくそれは筑波大学の貴重なポジショニングというか。
     ちなみに、筑波大学がライバルって言ったら変ですけど、そのように位置付けている競合の大学ってあったりするんですか? Q 筑波大学のライバルって、あまり聞かないですよね。 新構想大学であるので、スタンドアローンみたいな感じもあるし、独特なんですよね。
     そうですよね。
     学部の幅もすごく広いじゃないですか。
     人文から国際関係、自然、理工学、情報、体育、芸術、医学部もあって、それ以外にも幅広くあるみたいな。
     だから、そういうところがすごいユニークさっていうんですかね。
     だから、変に東京の大学みたいにならないでほしいなと思っています。 Q 今日は、ありがとうございました!
    [聞き手 広報局次長 髙井孝彰]