1950年代・経済民主化のリアクション
【研究分野】経済史
【研究キーワード】
1950年代 / 吉田グループ / 追放解除 / 左右社会党 / 日教組 / 地域開発 / 対中国貿易 / 教育改革 / 特需 / 新特需 / 日米経済協力 / 株式市場 / パ-ジ / 平野力三
【研究成果の概要】
1.1950年代の位置づけの「総括」に関しては、占領軍というオールマイティが去った後に生じた数々のせめぎ合いを分析した。すなわち保守政治の世界のなかでは追放解除組と吉田グループの対立が生じ、「革新派」の世界では左右社会党が対立し、また共産党は地下活動を行い、労資対立は厳しく大争議が続発し、教育の世界でも文部省と日教組が対立した。1950年代は過渡期として激しい対立の時代となったのである。
2.「地域開発」に関しては、地方自治体が相対的に独自の地域開発を進めざるを得なかった経緯の背景としてシャウプ税制の見直しと国土総合開発の後退があったことを分析し、加えて地方自治体の振興政策の例として岡山県の政策を検討した。
3.「パ-ジ」については、講和発効後政界に復帰した追放解除者から閣僚に就任するものが増大していき、その頂点として岸総理があることを、当時の政党と派閥の政治力学をあきらかにしつつ分析を加えた。
4.「対中国貿易」に関しては、1950年代に対中国貿易統制という国際的な制約を受けつつ日中民間貿易協定(第1次-第4次)が結ばれ、この過程でアメリカを懸念させるほどの日中貿易の内実ができかけた経緯、さらにその貿易の進展をもたらした要因として大阪を中心とした関西財閥の中国貿易に対する強い期待感があった点が分析された。
5.「教育改革」については、対日占領当初CI&E(GHQ民間情報教育局)が教育の民主化に必要な勢力として教員組合(日教組)を育成する考えを示していたにもかかわらず、対日占領政策の転換とともに教員組合に批判的になり、「反共」の観点から対決するにいたる過程について教科書検定の問題を軸に分析が加えられた。
【研究代表者】