HIV潜伏感染細胞の排除に向けた新規低分子化合物を発見
「再活性化・選択的排除・免疫応答増強」の3つの作用でHIV治癒を目指す
【注目の成果:共同研究・産学連携のためのチェックポイント】
![]() | 従来のShock and Kill戦略の課題であった感染細胞の「排除」を促す新たなアプローチを提示し、HIV感染症の真の治癒(キュア)を目指した治療薬開発への応用に期待 |
【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
【Sagaキーワード】
最適化/デルタ/選択性/マネジメント/一細胞/アゴニスト/リン酸/変異株/CD8/エイズ/潜伏感染/HTLV-1/SARS-CoV-2/ウイルス学/肝炎/機能解析/免疫不全/ウイルス感染症/オミクス/プログラム細胞死/レトロウイルス/染色体/免疫逃避/臨床応用/感染症対策/新型コロナウイルス/分子機構/T細胞受容体/ウイルス療法/医工連携/骨髄/歯学/HDAC/HIV/PKC/T細胞/アポトーシス/インフルエンザ/カスパーゼ/スクリーニング/トランスクリプトミクス/プロテオミクス/ヘルペスウイルス/化合物ライブラリー/血液/抗ウイルス薬/抗原/細胞死/細胞生物学/受容体/創薬/低分子化合物/白血病/分子設計/免疫応答/免疫細胞/薬理学/臨床試験/ウイルス/ゲノム/スティグマ/遺伝子/遺伝子発現/感染症/骨髄移植/新型コロナウイルス感染症/慢性疾患/薬物動態
2026年9月30日 公開
ポイント
抗ウイルス療法(ART)では除去できない「潜伏HIV感染細胞」を標的とする、新規低分子化合物「2-HSB」を発見2-HSBが、(1)潜伏HIVの再活性化(Shock)、(2)HIV感染細胞の選択的な排除(Kill)、(3)キラーT細胞による免疫応答の増強(Attack)という3つの作用を持つことを明らかに
従来のShock and Kill戦略の課題であった感染細胞の「排除」を促す新たなアプローチを提示し、HIV感染症の真の治癒(キュア)を目指した治療薬開発への応用に期待
概要
東京科学大学(Science Tokyo)医歯学総合研究科 ハイリスク感染症研究マネジメント学分野の原雄一郎大学院生と武内寛明教授、鹿児島大学 ヒトレトロウイルス学共同研究センター 抗ウイルス療法研究分野の前田賢次教授、松田幸樹准教授、鹿児島大学 先端科学研究推進センターの藤崎千江子特任助教らの共同研究チームは、エイズの原因ウイルスであるHIV-1の潜伏感染細胞を狙い撃ちにする新たな低分子化合物2 hydrido-2,2'-spirobi(1,3,2-benzodioxaphosphole)(略称:2-HSB)を発見しました。HIV感染症は、適切に治療しなければ後天性免疫不全症候群(エイズ)を引き起こす致死的な疾患です。現在では、抗ウイルス療法(ART)[用語1]の発展により、エイズの発症を抑えられるようになりました。しかし、ARTでは、細胞の中で「眠って」いるHIVを持つ細胞、すなわち潜伏HIV感染細胞[用語2]を除去することができず、多くの患者は生涯にわたって服薬を続ける必要があります。この潜伏HIV感染細胞を体内から取り除くことが、真にHIV治癒/キュア[用語3]を実現する上で最大の課題となっています。
本研究で見つけた2-HSBは、単一の化合物でありながら、(1)眠っているHIVを目覚めさせる(Shock)、(2)潜伏HIV感染細胞を選択的に排除する(Kill)、(3)感染細胞を攻撃する免疫細胞(キラーT細胞)の攻撃力を高める(Attack)―という3つの作用を同時に発揮することが確認されました。従来のShock and Kill戦略[用語4]では、「起こす」働きに偏りがちで、臨床での効果が限定的であることが課題でした。これに対し、2-HSBは「3本の矢」によって潜伏HIV感染細胞を包囲する、まったく新しい治療コンセプトを提示します。
本成果は、2026年8月31日付(現地時間)の国際学術誌 「Journal of Medical Virology 」に掲載されました。
背景
HIV感染症は、抗ウイルス療法(ART)の発展により、命に関わる疾患から「治療可能な慢性疾患」へと大きく姿を変えました。しかし、ARTには根本的な限界があります。その理由は、風邪やインフルエンザとは異なり、HIV感染症は現在の治療では「治す」ことができず、多くの患者が生涯にわたって服薬を続けなければならないためです。この限界の根本には、細胞の中で低いレベルの活動を維持しながら息を潜め続ける「潜伏HIV感染細胞」の存在があります。服薬を中断すると、こうした細胞からHIVが再び活動を始め、血液中のウイルス量が数日~1週間程度で急速に増加(リバウンド)します。生涯にわたる服薬による経済的・身体的負担や、それに伴う偏見や差別(スティグマ)は、世界の4,000万人を超えるHIV陽性者[用語5]が抱える大きな課題となっています。
この壁を越える戦略として世界的に注目されているのが、潜伏しているHIVを目覚めさせ(Shock)、感染細胞を免疫や治療薬によって除去する(Kill)「Shock and Kill戦略」です。しかし、これまで臨床試験で検討されてきた潜伏感染再活性化剤(LRA)[用語6]は、「起こす(Shock)」ことはできても、「排除する(Kill)」ことにつなげる有効な手立てがなく、実際にHIVリザーバー(潜伏感染細胞の集団)を縮小するには至っていません。そのため、「Killの壁」を乗り越える新たな作用機序を持つLRAの開発が求められていました。
研究成果
研究チームは、東京科学大学が保有する低分子化合物ライブラリーの中から、HIV潜伏感染細胞のレポーター細胞を用いたスクリーニングにより、有望な新規化合物 2-HSB を見出しました。詳細な機能解析の結果、2-HSB は単一の化合物でありながら、次の3つの働きを兼ね備えていることが明らかになりました(図)。(1)感染細胞だけを狙い撃つ(Kill)
HIV陽性細胞と非感染細胞を混合して培養した実験系において、2-HSB は HIV陽性細胞に選択的にカスパーゼ3依存性のアポトーシス(プログラム細胞死)[用語7]を誘導し、非感染細胞にはほとんど影響を与えませんでした。この選択性は、HIVが産生するウイルスタンパク質HIV-1 Tat[用語8]の存在に依存しており、2-HSBが「HIVのしるしを持つ細胞」を選択的に排除する仕組みを持つことが分かりました。(2)眠っているHIVを目覚めさせる(Shock)
2-HSBは、潜伏しているHIVの遺伝子転写を再開させ、ウイルスタンパク質を細胞の内外に発現させます。重要なことに、この再活性化作用は、既存のLRA(プロストラチン、JQ1など)では十分な効果が得られなかった、ARTによってウイルス増殖が抑制されているHIV陽性者由来のCD4+ T細胞でも確認されました。(3)免疫細胞の攻撃力を高める(Attack)
健常人の末梢血単核細胞(PBMC)を用いた実験では、2-HSBは、感染細胞を攻撃するキラーT細胞(CD8+ T細胞)において、T細胞受容体の中核を構成するCD3の発現を上昇させるとともに、細胞傷害性の指標である脱顆粒マーカーCD107aの発現も亢進させました。これらの結果から、2-HSBがHIV特異的な免疫応答を増強する可能性が示されました。2-HSB がもたらす「3本の矢」~単一の低分子で、HIV潜伏感染細胞を狙い撃つ~

さらに、単一細胞レベルの解析から、「起こす(Shock)」と「排除する(Kill)」作用は、それぞれ異なる細胞で生じていることが明らかになりました。つまり、細胞集団全体では2つの作用が同時に生じる一方、個々の細胞ではいずれか一方の作用のみが生じます。この特徴は、ウイルス抗原の過剰な放出による炎症を抑えながら、潜伏HIV感染細胞を減少させられる可能性を示唆するものであり、従来の化合物にはみられない2-HSBの特徴です。
社会的インパクト
国連合同エイズ計画(UNAIDS)の推計では、世界のHIV陽性者数は約4,000万人にのぼり、毎年120万人以上が新たに感染しています。日本国内でも、累積で3万5千人を超えるHIV陽性者が報告されており、生涯にわたる服薬の継続は、患者にとって心身の負担となっています。本研究は、Shock and Kill戦略の実現を阻んできた「Killの壁」を薬理学的に乗り越える可能性を持つ、新たな分子設計の考え方を提示するものです。2-HSBのように3つの作用を1つの分子で発揮する化合物は、HIV感染症の真の治癒(キュア)を目指した新たな治療薬の開発につながることが期待されます。
また、2-HSBの作用が「HIVが産生するウイルスタンパク質Tatの存在に依存する」という性質は、感染細胞を選択的に標的とするプレシジョン医療の考え方とも親和性があります。さらに、同様の設計原理は、HTLV-1(成人T細胞白血病ウイルス)、B型肝炎ウイルス、ヘルペスウイルスなど、体内に潜伏する他のウイルス感染症に対する治療戦略への応用も期待されます。
今後の展開
研究チームは今後、次の3つの方向性から、HIV感染症の真の治癒(キュア)の実現に向けて、本研究をさらに発展させていきます。(1)作用機序のさらなる解明
2-HSB がどのような分子機構を介して3つの作用を引き起こすのか、トランスクリプトミクス[用語9]やホスホプロテオミクス[用語10]などの網羅的な解析を通じて明らかにします。(2)前臨床試験の推進
ex vivo およびin vivo モデルなどを用いて、有効性、安全性、薬物動態を評価し、ヒトへの臨床応用に向けた検討を進めます。(3)医工連携による最適化と実用化
本学のオープンイノベーション基盤を活用し、化学構造の最適化やドラッグデリバリー技術との統合を図るとともに、アカデミアや製薬企業との共同開発を進め、実用化を目指します。付記
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)(18fk0410015s0101、19fk0410015s0102、20fk0410015s0103、21fk0108587h0001、22fk0108542s0201、23fk0108589h0001)、MEXT科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業(JPMJFS2109)、JST 次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2120)、の支援を受けて実施されました。用語説明
- [用語1]
- 抗ウイルス療法(ART:Antiretroviral Therapy):複数の抗HIV薬を組み合わせることで、HIVの増殖を強力に抑える治療法。血液中のウイルス量を検出限界未満に抑え、エイズの発症を防ぐことができる。ただし、細胞内に潜伏しているHIVを取り除くことはできない。
- [用語2]
- 潜伏HIV感染細胞(HIVリザーバー):宿主細胞の染色体にHIVの遺伝子が組み込まれ、ほとんど活動しない状態で長期間存続する感染細胞。ARTでは取り除くことができず、HIV感染症の治癒を困難にする大きな要因となっている。
- [用語3]
- HIV治癒/キュア(Functional Cure):抗ウイルス療法を中止しても、長期にわたって血液中のHIV量が低く抑えられ、病気の進行が抑制されている状態。現在までに世界で数例のみ(骨髄移植を伴う「ベルリン患者」ら)が達成している。
- [用語4]
- Shock and Kill戦略:潜伏しているHIVを再活性化させ(Shock)、HIVを発現した感染細胞を免疫や治療薬によって除去する(Kill)という2段階の治療戦略。
- [用語5]
- HIV陽性者(PLWH:People Living with HIV):HIVに感染している人を指す国際的な呼称。世界では約4,000万人(UNAIDS推計)がHIVとともに生活していると推計されている。
- [用語6]
- 潜伏感染再活性化剤(LRA:Latency-Reversing Agent):潜伏しているHIVを再活性化させる作用を持つ薬剤群。HDAC阻害薬、PKCアゴニスト、BET阻害薬などがある。
- [用語7]
- カスパーゼ3依存性アポトーシス:細胞が計画的に自死する「プログラム細胞死」の主要な経路の1つ。細胞死を実行する酵素であるカスパーゼ3が活性化することによって進行する。
- [用語8]
- タンパク質HIV-1 Tat:HIV-1が産生する重要な調節タンパク質。HIVの遺伝子転写を強力に促進するとともに、宿主細胞の遺伝子発現にも影響を与える。
- [用語9]
- トランスクリプトミクス:細胞内でどの遺伝子がどの程度働いているかを網羅的に解析する研究手法。細胞の状態や疾患のメカニズム、薬剤による変化などを明らかにするために用いられる。
- [用語10]
- ホスホプロテオミクス:細胞内のタンパク質のリン酸化状態を網羅的に解析する研究手法。細胞内のシグナル伝達や薬剤の作用機序を明らかにするために用いられる。
論文情報
- 掲載誌:
- Journal of Medical Virology
- タイトル:
- Identification of a novel small molecule facilitating HIV elimination by the "Shock-and-Kill" approach
- 著者:
- Yuichiro Hara, Haruki Kitamura, Kouki Matsuda, Chieko Fujisaki, Sayaka Sukegawa, Kosuke Tanimoto, Kenji Maeda, Hiroaki Takeuchi*
(*:責任著者) - DOI:
- 10.1002/jmv.71131
研究者プロフィール
原 雄一郎 Yuichiro Hara
東京科学大学 医歯学総合研究科 生体集中管理学分野/ハイリスク感染症研究マネジメント学分野 大学院生
研究分野:ウイルス学、細胞生物学、ゲノム生物学、感染症
武内 寛明 Hiroaki Takeuchi
東京科学大学 医歯学総合研究科 ハイリスク感染症研究マネジメント学分野 教授
研究分野:ウイルス学、細胞生物学、ゲノム生物学、感染症
前田 賢次 Kenji Maeda
鹿児島大学 ヒトレトロウイルス学共同研究センター 抗ウイルス療法研究分野 教授
研究分野:ウイルス学、抗ウイルス薬創薬
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武内 寛明 Hiroaki Takeuchi | Science Tokyo研究情報データベース(医歯学系)
原 雄一郎 Yuichiro Hara | Science Tokyo研究情報データベース(医歯学系)
ハイリスク感染症研究マネジメント学分野
医歯学総合研究科
鹿児島大学
問い合わせ先
東京科学大学 医歯学総合研究科 ハイリスク感染症研究マネジメント学分野教授 武内 寛明
- takeuchi.h.670f@m.isct.ac.jp
- Tel
- 03-5803-5939
東京科学大学 研究