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2026年06月01日
 

発表概要

大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 生命創成探究センター(ExCELLS)/基礎生物学研究所の渡部 匡己特任准教授と、ExCELLS/生理学研究所の坂本 丞特任助教(当時)らは、細胞など場所によって光の通りやすさが不均一な物質の内部における、光の屈折と減衰を統合して計算できる輸送モデルを導き出すことに成功しました。この新しい理論モデルでは、屈折率の局所的な揺らぎと光の弱まり方を従来の近似(線形化や弱吸収近似)に頼らずに同時に求めることができ、さらに測定が成立する物理的条件(妥当性境界)の範囲も明確に示すことができます。実験では、マイクロレンズアレイとHeLa細胞を用いてこの光輸送モデルを検証し、「光のルートは逆向きにしても、光の伝わり方は変わらない」、すなわち光学相反性が、生体組織内でも光学的厚さで3桁にわたる(約1万倍の幅を持つ)広い範囲の条件下で保たれていることを実証しました。
本研究成果は、米国物理学会の国際科学雑誌「Physical Review A」(2026年5月18日付)に掲載されました。

発表のポイント

細胞などの不均一な光媒質*1の内部で、光の屈折と減衰を結合した輸送モデルを導出。屈折率の揺らぎ*2(Δn)と光の減衰係数*3(μ)を、これまで必要だった近似(線形化や弱吸収近似)を用いずに同時に再構成できる。
本枠組みから、測定が物理的に成立するパラメータ範囲(妥当性境界)を明示的に導出。実験を行う前に、ある光学系で「どこまで何が測れるか」を見積もることが可能になった。
マイクロレンズアレイ*4およびHeLa細胞*5を用いた実験により、生体組織の光の進行モードと後退モードの非対称性(減衰非対称性 Aκ)が、光学的厚さ*6約3桁にわたってゼロと一致することを確認。生体媒質においても光学相反性*7が保持されることを定量的に検証した。

 

研究の詳しい内容

1. 研究の背景

細胞や組織の内部を、染色剤などのラベルを使わずに観察したい――この素朴な要求に応える代表的な手法のひとつが、定量位相イメージング*8です。光が試料を通るとき、その位相(波の山と谷のずれ)は、屈折率の分布に応じて変化します。レンズや干渉計を使わず、焦点位置を少しずつ変えた強度画像(焦点・上下)だけからこの位相情報を引き出す方程式が、1983年にTeagueによって提案された強度輸送方程式(TIE:Transport of Intensity Equation)*9です。
ただし従来のTIEは、試料が「光を屈折させるが吸収・散乱しない」という仮定の下で成立する方程式でした。一方、実際の生体試料は屈折率の不均一性と、吸収・散乱による減衰を併せ持ちます。両方が同時に存在すると、強度の変化が位相からのものなのか、吸収によるものなのか区別できなくなり、再構成は容易ではありません。これまでにも、両者を分離する近似的なアプローチ(弱吸収近似や線形化)が提案されてきましたが、いずれも適用範囲が暗黙的で、「どの試料・どの光学系でその近似が成り立つのか」を事前に判定する基準が存在しないという問題が残されていました。
 

2. 本研究の内容

研究グループは、近軸波動方程式に複素光学ポテンシャル*10を導入したうえで、屈折率場を空間的に一様な平均場 n₀ と局所的な揺らぎ場 Δn に分解する手法(レイノルズ分解*11)を採用しました。これは流体力学で乱流場を平均流と揺らぎに分けるのと同じ考え方で、屈折率の「背景値」と「局所的なゆらぎ」を切り分けて扱う点に本質があります。
この分解により、光の振幅と位相がそれぞれ満たすべき式が、互いに結合した2本の輸送方程式として得られます。すなわち、強度の伝播を司る一般化TIEと、位相の伝播を司る位相輸送方程式(TPE:Transport of Phase Equation)*12の組(本論文では「結合TIE-TPEフレームワーク」と呼ぶ)となります。両者は同一の複素光学ポテンシャルを介して結合しているため、屈折率の揺らぎ Δn と減衰係数 μ を独立にではなく同時に再構成することが可能となります。
さらに本枠組みは、|Δn| < 1 という物理的条件と、光子計数の統計および回折限界から導かれる下限とを組み合わせることで、「ある実験設定でどの範囲のΔnとμが測定可能か」を表す妥当性境界を陽に与えます。これは従来の弱吸収近似や線形化に基づく手法と異なり、近似の有効範囲が暗黙ではなく明示されている点が特徴です。
実験的検証として、(i)幾何形状が既知のマイクロレンズアレイ(NA=0.45)、(ii)培養HeLa細胞(NA=1.20)、(iii)HeLa細胞膜(油浸対物レンズ、NA=1.49)、という光学的性質の異なる3種の試料で再構成を行いました。いずれの場合も、再構成されたΔnとμの分布は本枠組みが予測する妥当性境界の内側に収まり、約75〜99.8%のピクセルがその範囲に含まれることが確認されました。
加えて研究グループは、光の進行モード(前進)と後退モード(後進)の確率の非対称性を表す減衰非対称性パラメータAκを導入し、これを光学的厚さ |μΔz| の関数として測定しました。その結果、Aκ は光学的厚さの3桁にわたる範囲(おおむね 10⁻⁴ から 10⁰)で統計的にゼロと一致することが明らかとなりました。これは、光が前向きに進むときと、向きを反転させたときとで媒質の応答が変わらないという光学相反性の保存を、不均一な生体組織において初めて定量的に検証したものです。高NA光学系に由来する系統誤差を見積もっても、Aκの系統誤差は統計誤差の1割以下にとどまり、結論の頑健性が示されました。
 

3. 本研究の発見の意義

本研究は、屈折と減衰が共存する不均一光媒質中の波動伝播を、近似に頼らずに記述する輸送モデルを提示しました。一見すると技術的拡張に見えますが、本質は次の3点にあります。
第一に、強度と位相の輸送を、複素光学ポテンシャルを介して結合した非発散な方程式系として閉じた形で書き下した点。これは、従来「ひとつの方程式(TIE)と補助的な仮定」で扱われてきた問題を、「ふたつの結合方程式」として再構成し直したものである。
第二に、再構成が物理的に成立する範囲を陽に与えた点。数学的に「測れる」範囲と「測れない」範囲の境界が事前にわかるため、実験条件(焦点間距離、開口数、照明波長など)を、目的のサンプルに合わせて合理的に設計できる。
第三に、光学相反性という波動伝播の根源的な対称性が、構造的に不均一な生体媒質中でもマクロには破れていないことを、定量的かつ多数の試料・光学系で確認した点。これは、双方向計測や反射型イメージングの基礎となる重要な性質である。

 

4. 本研究の今後の展望

本モデルが与える妥当性境界は、定量位相イメージングにおける実験設計の指針として機能します。今後は、(1)部分コヒーレント照明や広帯域光源への拡張、(2)角度多様性を組み合わせた三次元トモグラフィー再構成、(3)厚い組織への適用と減衰非対称性 Aκ を用いた自己整合性検証、といった方向への発展が期待されます。とくに、本枠組みによって得られる屈折率揺らぎや減衰係数の空間分布は、細胞内流体の粘性・密度や局所的な温度といった物理特性へと変換しうる情報を内包しており、光学計測を通じて細胞内環境そのものを定量的に読み解く新たな道筋を切り拓くものとなります。


図. HeLa細胞の解析結果

(a)広視野顕微鏡を用いた明視野撮像系の光路図。(b)3枚の強度分布 I(r⊥, z₀ − Δz), I(r⊥, z₀), I(r⊥, z₀ + Δz)。(c)これらの3枚の蛍光細胞画像から再構成された位相分布。(d)再構成された屈折率揺らぎ Δn の空間分布、ならびに(e)減衰係数μ の空間分布。(f)Δn(r⊥, z₀) と μ(r⊥, z₀) の相関パターン。黒実線は 3σ 信頼水準を表し、緑色の領域は本文中の妥当性条件式によって与えられる物理的パラメータ境界(妥当性領域)を示す。本サンプルでは 65,055 イベント(24.82%)が緑色の領域の外側に分布している。(g)光学的厚さ log₁₀|μΔz| に対する減衰非対称性 Aκ の依存性。青実線と青帯はそれぞれ Aκ の統計平均と二乗平均平方根(RMS)を、破線は Aκ = 0 を表す。
 

5. 用語説明

*1 不均一な光媒質
空間的に屈折率や吸収係数が一様でない媒質。生体細胞や組織は、内部の小器官・タンパク質濃度・水分量などが場所ごとに異なるため、典型的な不均一光媒質である。
*2 屈折率の揺らぎ(Δn)
試料中の屈折率を、空間的に一様な平均値 n₀ と、それからの局所的なずれ Δn(r) に分解したときの後者の成分。生体試料ではおおむね |Δn| が0.05以下と小さく、本枠組みはこの領域で機能する。
*3 減衰係数(μ)
光が媒質中を進む際に、吸収や散乱によって単位長さあたりにどれだけ強度が減るかを表す量。次元は 1/長さ(例:1/m)。本研究では、吸収と散乱の両方を含む実効的な減衰量として扱う。
*4 マイクロレンズアレイ
微小なレンズを規則正しく並べた光学素子。形状が精密に既知であるため、光学計測手法の検証用標準試料として用いられる。
*5 HeLa細胞
世界で最も広く用いられているヒト由来培養細胞株のひとつで、子宮頸がんの組織から1951年に樹立された。生体光学計測の標準的なサンプルとして広く使われている。
*6 光学的厚さ
試料を通過する間に光がどれだけ減衰するかを示す無次元量で、減衰係数 μ と光路長 Δz の積 |μΔz| で表される。本研究では、約10⁻⁴〜10⁰ の3桁にわたる範囲で測定を実施した。
*7 光学相反性
光がある経路を一方向に進む場合と、同じ経路を逆向きに進む場合とで、媒質を介した応答(透過率や位相変化)が等しくなるという、電磁気学・波動光学の基本的な対称性。本研究では、これを生体組織において直接的・定量的に検証した。
*8 定量位相イメージング
試料の屈折率分布などに由来する位相情報を、染色等のラベルなしに、数値として取り出すイメージング手法の総称。ラベルフリーで細胞の構造や乾燥質量などを評価できる。
*9 強度輸送方程式(TIE:Transport of Intensity Equation)
1983年にTeagueにより導入された方程式で、焦点位置を僅かに前後させた強度画像から、干渉計を用いずに位相分布を一意に決定できる枠組み。本研究はこれを、減衰を含む媒質に拡張した。
*10 複素光学ポテンシャル
屈折率の実部と虚部(吸収・散乱に対応)を統一的に扱うために、屈折率を複素数として表したもの。本研究の枠組みは、この複素ポテンシャルから出発して波動方程式を導出する点に特徴がある。
*11 レイノルズ分解
流体力学において、乱流場を時間・空間平均と、それからの揺らぎとに分解する手法。本研究では、屈折率の場をこの考え方に倣って平均場 n₀ と揺らぎ場 Δn(r) に分解することで、近似なしで両者を扱える定式化を実現した。
*12 位相輸送方程式(TPE:Transport of Phase Equation)
複素光学ポテンシャルを含む近軸波動方程式を振幅と位相に分解した際、その実部から導かれる方程式。強度(振幅の二乗)の伝播を記述する強度輸送方程式(TIE)と対をなし、位相そのものの軸方向への伝播を記述する。光路長の変化に伴う直接的な位相蓄積、波面の自己補正、強度と位相の結合という3つの寄与からなる。本研究では、TIEとTPEを結合した方程式系として扱うことで、屈折率揺らぎと減衰係数を同時に再構成することを可能にした。
 

研究助成等について

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(KAKENHI)(課題番号:JP20H05891、JP20K21836、JP21H05605、JP22H04926、JP23K17364、JP23K26795)、公益財団法人 旭硝子財団 研究助成、自然科学研究機構 先端光科学研究分野プロジェクト(助成番号:01212504)、ならびに ExCELLS 若手奨励研究(24-Y9, 25-Y12) の支援を受けて実施されました。
また、論文の計算および原稿作成の補助として AI ツール(Claude/Anthropic、ChatGPT/OpenAI)を活用しました。
 

論文情報

雑誌名:Physical Review A
論文名:Coupled amplitude-phase transport in heterogeneous optical media
著者: Masaki Watabe*†, Joe Sakamoto*, Hideaki Yoshimura, Tomomi Nemoto, Kazunari Kaizu
(*共同筆頭著者/†責任著者)
論文公開日:2026年5月18日(月)
掲載URL:https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/zjh7-3bdb
DOI:10.1103/zjh7-3bdb

 

問い合わせ先

研究内容に関するお問い合わせ

自然科学研究機構 生命創成探究センター/基礎生物学研究所
特任准教授 渡部 匡己(わたべ まさき)
E-mail:m-watabe_at_nibb.ac.jp
自然科学研究機構 生命創成探究センター/生理学研究所 特任助教(研究当時)
坂本 丞(さかもと じょう)
(現:浜松医科大学 医学部医学科 薬理学講座 助教)
E-mail:joesaka_at_hama-med.ac.jp
 

広報に関するお問い合わせ

自然科学研究機構 生命創成探究センター(ExCELLS)研究力強化戦略室
E-mail:press_at_excells.orion.ac.jp
自然科学研究機構 基礎生物学研究所 広報室
E-mail:press_at_nibb.ac.jp
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
E-mail:pub-adm_at_nips.ac.jp
※_at_を@に変換してください。
 

プレスリリース

光は「細胞内の不均一構造」をどのようにして伝わるのか?
〜屈折率の揺らぎと光の減衰を同時に再構成し、生体組織における光学相反性を実験的に検証〜