海に漂うプランクトンはどう進化するのか
――空気からの窒素が代謝と種分化に影響――
【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
【Sagaキーワード】
ブートストラップ/生物地球化学/海洋/気候変動/地球化学/北太平洋/アンモニア/窒素固定/クロロフィル/個体群/種分化/トラップ/栄養塩/生産性/リン酸/生態系/系統解析/カイアシ類/プランクトン/海洋生態/海洋生態系/植物プランクトン/生物多様性/動物プランクトン/微生物/環境要因/SNP/体組成/ミトコンドリア/遺伝学/遺伝子
発表のポイント
◆外洋のように物理的な障壁のない海でも、栄養供給の違いによって動物プランクトンが進化的に分化することを実証しました。◆空気中の窒素ガスを栄養として取り込む微生物活動(窒素固定)が活発な海域では栄養をバランスよく排出するのに対し、窒素固定活性が低い海域では窒素を節約する代謝戦略を示し、これらの違いが遺伝的に異なる系統と対応することを明らかにしました。
◆本研究により、栄養の「量」ではなく「供給の流れ」が生理と進化を同時に規定することが明らかになりました。また、この違いは再生される栄養塩の比を通じて植物プランクトンの生産や群集組成にも影響を与える可能性があります。
窒素供給の違いに対応して進化していることが明らかとなった外洋性動物プランクトン(カイアシ類)の1種:Pleuromamma xiphias
発表概要
東京大学大学院農学生命科学研究科の高橋教授らによる研究グループは、外洋に広く分布するプランクトンにおいて、栄養の「量」ではなく「供給の流れ」が代謝と進化を規定することを明らかにしました。外洋の表層は栄養塩(硝酸塩)(注1)が乏しい環境ですが、その中でも「窒素固定」(注2)と呼ばれる微生物活動によって大気中の窒素が新たに供給される海域と、そうでない海域が存在します。本研究では、この窒素供給の違いが、そこに生息する動物プランクトンの代謝特性と遺伝的分化にどのように影響するかを調査しました。外洋に広く分布する動物プランクトン(カイアシ類Pleuromamma xiphias)を対象に、北太平洋の複数海域で観測と実験を行った結果、窒素固定が活発な海域では窒素とリンを、一般的な海水中の栄養塩比(注3)に近い一定の比率(N:P ≈ 18)でバランスよく排出する一方、窒素固定活性が低い海域では、亜表層からの硝酸態の窒素の供給量に関係なく、窒素の排出を強く抑えた「窒素節約型(N:P ≈ 7.5)」の代謝を示すことが分かりました。さらに重要な点として、これらの異なる代謝戦略は遺伝的に異なる系統とほぼ完全に対応しており、物理的な障壁のない外洋においても、栄養供給の違いが進化的分化を引き起こすことを実証しました(図1)。本研究は、外洋生態系が栄養の「量」ではなく「供給の流れ」によって成り立つことを示し、海洋の栄養循環の理解を見直す必要性を示しています。また、気候変動による窒素固定の変化が海洋の生産性や生物多様性に与える影響を予測する上でも重要な知見となります。
図1:北太平洋におけるカイアシ類Pleuromamma xiphiasの遺伝的分化と生理特性。大気からの窒素栄養塩取り込み(窒素固定)活性が低い海域の個体群は、下層からの窒素供給量に関係なくアンモニア排泄量が低く、排泄される無機窒素:リンの比が7.5程度となる。これに対して、大気からの窒素栄養塩取り込み(窒素固定)活性が高い海域に生息する個体群は、アンモニア排泄量が高く、海水中の溶存態窒素:リンの比と近い比(18)でアンモニア、リンを排泄する。両個体群の遺伝的系統は明確に異なっていることから、窒素固定の有無による窒素供給とフローの違いが進化を促す要因であると考えられる。
発表内容
東京大学大学院農学生命科学研究科の高橋教授らによる研究グループは、外洋に広く分布するプランクトンにおいて、栄養の「量」ではなく「供給の流れ」が代謝と進化を規定することを明らかにしました。海に漂うプランクトンは、自ら移動する能力をほとんど持たず、海流に運ばれながら生きる微小な生物であり、海洋生態系の基盤を支えています。プランクトン群集は多様な種から構成されますが、外洋は物理的な障壁に乏しく、水塊の混合によって生物が広く分散するため、「このような環境で進化的な分化がどのように生じるのか」という基本的な問いは、長らく十分に解明されていませんでした。とくに地球表面の半分以上を占める外洋域の大部分では基礎生産を支える栄養塩濃度(硝酸塩)が低く、種分化を促すような顕著な環境勾配は見当たりません。しかし、その中でも「窒素固定」と呼ばれる微生物活動によって大気由来の窒素が新たに生態系に取り込まれる海域と、そうでない海域が存在し、両者の間で栄養の供給の流れが大きく変動するという特徴があります。本研究では、この窒素供給の違いが、そこに生息する動物プランクトンの代謝特性と遺伝的分化にどのように影響するかを調査しました。
外洋に広く分布する動物プランクトン(カイアシ類Pleuromamma xiphias)を対象に、北太平洋の複数海域で観測と実験を実施しました。これらの測点は、赤道湧昇域にあたり下層から豊富な栄養塩が供給されるSt.1を除き、総じて栄養塩(硝酸塩)が低く、植物プランクトン現存量(クロロフィルa濃度)や基礎生産速度が低いという特徴がありました(図2)。一方で、窒素固定活性は場所によって大きく異なり、北緯15〜20度の3測点(St.0, 4, 5)で高く、赤道域から北緯10度の3測点(St.1, 2, 3)で低いことが分かりました(図2)。
図2:本研究を実施した(A)観測点位置と表層クロロフィルa濃度、および各測点の環境要因鉛直分布:(B)水温、(C)硝酸、(D)リン酸、(E)クロロフィルa濃度、(F)基礎生産速度、および(G)窒素固定活性。
これらの測点において本種の窒素(アンモニア)およびリン酸の排泄速度を測定したところ、窒素固定が活発な海域では窒素とリンを一定の比率(N:P ≈ 18)でバランスよく排出する一方、窒素固定活性が低い海域では、亜表層からの硝酸塩供給量の多寡にかかわらず窒素の排出を強く抑えた「窒素節約型(N:P ≈ 7.5)」の代謝を示すことが分かりました(図3)。リン酸の排泄速度には海域間で有意な差が見られなかったことから、窒素固定が活発な海域の個体は、より多くの窒素を排出していることが示されました。また、体を構成する窒素や炭素の含有量にも有意な違いが見られ、窒素供給が乏しい海域の個体ではこれらの成分の含有量が低いことが明らかになりました。以上の結果は、本種が窒素供給の不安定な環境に適応し、代謝や体組成を変化させている可能性を示しています。
図3:窒素固定活性の高い測点(St.0, 4, 5)と低い測点(St.1, 2, 3)における、Pleuromamma xiphiasの(A)アンモニア排泄速度、(B)溶存態排泄物中無機窒素:リン比、(C)体乾燥重量中に占める窒素の割合、(D)体乾燥重量中に占める炭素の割合。Bの点線は、海水中の一般的な栄養塩比(レッドフィールド比)を示す。
さらに、この違いの遺伝的背景を検証するため、ミトコンドリアCOI解析およびMIG-seq解析を用いて系統関係を調べたところ、これらの異なる代謝戦略は遺伝的に異なる系統とほぼ完全に対応していることが明らかとなりました(図4)。この結果は、物理的な障壁がなく、栄養塩の濃度差が小さい外洋においても、栄養供給の流れ(窒素固定活性の高低)が進化的分化を引き起こすことを示しています。このような違いは、動物プランクトンによって再生される栄養塩の比率を変化させ、植物プランクトンの生産や群集組成にも影響を与える可能性があります。
本研究は、外洋における生物地球化学過程が静的な栄養濃度ではなく動的な供給の流れによって規定されるという新たな概念的枠組みを提示するものです。この視点は、動物プランクトンによる栄養循環の理解を大きく見直す必要性を示すとともに、気候変動に伴う窒素固定の変化が海洋生態系の生産性や生物多様性に与える影響を予測する上で重要な基盤となります。
図4: 各測点から得られたPleuromamma xiphiasの遺伝学的解析結果。各測点の個体を異なるシンボルで示す。(A)ミトコンドリアCOI遺伝子に基づく系統解析。スケールバーと分岐点にある数字は、それぞれ遺伝的距離とブートストラップ値を表す。(B)SNPデータに基づくSTRUCTURE解析(K = 2)。
発表者・研究者等情報
東京大学大学院農学生命科学研究科
高橋 一生 教授
大気海洋研究所
橋濱 史典 准教授
塩崎 拓平 准教授
佐藤 光秀 特任准教授
平井 惇也 講師
水産研究・教育機構 水産資源研究所(長崎拠点)
堀井 幸子 研究員
論文情報
雑誌名:Limnology and Oceanography題 名:Flux-driven evolution: Nitrogen fixation underlies contrasting stoichiometric strategies and genetic lineages in an open-ocean copepod
著者名:Kazutaka Takahashi*, Fuminori Hashihama, Mitsuhide Sato, Takuhei Shiozaki, Sachiko Horii, and Junya Hirai(*責任著者)
DOI:10.1002/lno.70377
用語解説
(注1)硝酸塩植物プランクトンが利用する主要な窒素源。海洋には莫大な量の硝酸塩が存在するが、表層付近は植物プランクトンに利用されるので、枯渇しやすい。このため、一般には下層から表層付近に供給される硝酸塩の多寡が海洋基礎生産を左右する。
(注2)窒素固定
窒素ガスを還元してアンモニアを生成する過程。窒素ガスは化学的に非常に安定しているため、通常の植物は養分として利用できないが、一部の原核生物は窒素固定能をもつため、硝酸塩やアンモニウム塩などの窒素養分が枯渇した海域でも生育できる。
(注3)海水中の栄養塩比
海水中の栄養塩の組成は、一般的に窒素(N)とリン(P)のモル比で16:1(レッドフィールド比)が標準とされる。この比率は、海洋の植物プランクトンが成長に必要な栄養素を取り込む際の比率(C:N:P = 106:16:1)と一致しており、海水の栄養組成の平均値を示す。
問い合わせ先
<研究内容については発表者にお問合せください>東京大学大学院農学生命科学研究科
教授 高橋 一生(たかはし かずたか)
Tel:03-5841-5290 E-mail:kazutakahashi@g.ecc.u-tokyo.ac.jp
<報道に関する問合せ>
東京大学 大学院農学生命科学研究科・農学部
総務課総務チーム広報情報担当
Tel:03-5841-5484 E-mail:koho.a@gs.mail.u-tokyo.ac.jp
東京大学大気海洋研究所 附属共同利用・共同研究推進センター 広報戦略室
E-mail:kouhou@aori.u-tokyo.ac.jp
東京大学 研究