致死量の塩を感知し防御反応を誘導する、新規な分子神経機構を発見
――線虫は、腸で塩分を検知し、耐性遺伝子を発現制御することで、塩分環境に適応する――
【注目の成果:共同研究・産学連携のためのチェックポイント】
![]() | 腸とI3神経による器官構築は、ヒトの内臓感覚とも共通しており、内臓を介して体内環境を維持する分子神経機構の解明につながることが期待 |
【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
【Sagaキーワード】
最適化/化学物質/物理化学/浸透圧/脊椎動物/カリウム/センサー/モデル生物/カルシウムイオン/化学感覚/消化管/土壌/無脊椎動物/ナトリウム/機能解析/筋肉/脊椎/カルシウム/グルタミン酸/遺伝子導入/細胞死/細胞内カルシウム/細胞培養/受容体/神経細胞/培養細胞/発現制御/遺伝子/遺伝子発現
発表のポイント
◆線虫において、腸とつながるI3神経に発現するGLR9/GLR7受容体が、塩分を感知し、高濃度の塩にさらされると、生存に必須な遺伝子の発現が制御されることを明らかにしました。◆培養細胞を用いて、GLR9/GLR7受容体を機能解析することに成功し、GLR9/GLR7が塩分で直接活性化されるとその信号を受け取った細胞が、塩分耐性機能を強化することがわかりました。
◆腸とI3神経による器官構築は、ヒトの内臓感覚とも共通しており、内臓を介して体内環境を維持する分子神経機構の解明につながることが期待されます。

研究成果の概要
発表概要
ブランダイス大学生物学部のジヒェ・ヨン博士、ピアリ・セングプタ教授、東京大学大学院農学生命科学研究科の佐藤幸治特任准教授、伊原さよ子助教、東原和成教授らの国際共同研究チームは、線虫(注1)において、陸上生活する動物にとって毒となる高濃度の塩分を感知し、その環境下で生存するために塩分耐性遺伝子発現を調節する新たな分子神経メカニズムが存在することを発見しました。すべての陸棲動物は塩分を好んで摂取しますが、高濃度の塩分は忌避します。下等な線虫でも同様ですが、線虫は塩分環境に順応し、耐性を獲得する能力を持っています。しかし、そのしくみはわかっていませんでした。本研究では、線虫の腸につながる神経細胞に発現するGLR9/GLR7というタンパク質が、塩分センサーとして機能し、そのシグナルによって塩分耐性遺伝子の発現が制御されていることを明らかにしました。
本研究成果は、内臓が栄養を感知し、体内の恒常性を維持する神経機構の全容解明につながることが期待できます。以上の研究成果は、「Nature」誌に掲載されました。
発表内容
塩化ナトリウムやカリウムなどの塩分は、すべての動物の生存に必須な物質です。しかし海水などの高濃度な塩分は、浸透圧(注2)の効果により水を吸収し体内環境を破綻させてしまうため、陸上生活する動物にとって致死的な作用があります。そのため味覚器が、塩分濃度に応じて好ましい味、塩辛い不快な味を神経細胞が生み出すことで、塩分摂取量が調節されています。線虫でも、塩分に対する反応は共通です。しかし線虫では、徐々に高濃度の塩環境に慣らしていくことで、高塩環境下でも生存できるようになります。一方、塩分でなく糖類で浸透圧を上昇させると、塩分のような高い致死性を示さないことが知られており、線虫には高濃度の塩環境を感知し、それに適応するための特殊な仕組みが備わっていることが示唆されていました。
多くの無脊椎動物では、IR(注3)というタンパク質が、環境センサーとして機能しています。線虫のどの神経細胞にIRが発現しているか調べたところ、喉の部分と腸をつなぐ咽頭腸管神経節のI3という神経細胞に、GLR9とGLR7というIRが発現していました。この細胞を様々な塩で刺激すると細胞内のカルシウムイオン濃度が上昇しましたが、GLRのどちらかが欠落すると反応が生じませんでした。またGLRを様々な細胞に発現させると、2つが同時に発現した時にだけ塩に対する応答が見られました。つまりGLR9とGLR7が、塩分センサーとして機能していたのです。
この塩分センサーの機能を失った線虫でも、海水の半分程度の塩分に対して忌避が見られました。また高濃度の糖類中でも生存できましたが、高濃度の塩環境下では生存できませんでした。これは、塩分には糖類とは異なった毒性があり、GLR9とGLR7が塩耐性の強化に必須であることを示しています。そこで高濃度の塩によって発現が変動する遺伝子を調べたところ、GLR9/GLR7によって体内浸透圧を上昇させる遺伝子や、体表を保護するクチクラという殻を強化させる遺伝子が発現上昇していることがわかりました。これらの遺伝子を失うと塩分耐性が失われました。以上のことから線虫では、摂取した塩分濃度を内蔵で感知し、その濃度に応じて遺伝子を発現制御することで、塩分の毒性から体を守るしくみが備わっていることが明らかになりました。
当研究科の佐藤特任准教授と伊原助教は、遺伝子の機能解析に用いられるHEK293Tという培養細胞で、2種類のGLRが同時に発現することによって、塩化ナトリウムに対する応答が生じることを証明する実験に携わりました(図1)。今回新たに発見したGLRは、塩分だけでなく温度など、様々な環境シグナルを受容することが知られているIR受容体群の一部ですが、培養細胞での機能解析による塩分センサーの研究例がほとんどありませんでした。その原因は、細胞の内部では、様々なイオンが互いに協調してその濃度が調節され、その濃度変化は細胞の反応として表れるため、今回見出したような様々なイオンを感知する受容体の応答計測は、大変困難だったからです。しかし細胞培養、遺伝子導入の改善と、ブランダイス大学での実験結果をもとに実験条件を最適化し、GLRが塩化ナトリウムに応答する様子を計測することに初めて成功しました。線虫と化学感覚それぞれの研究分野で実績のある研究室同士の交流が、相乗的な研究成果を生み出した好例と言えます。
図1:GLRを発現した培養細胞の、塩化ナトリウム刺激で起こる細胞内カルシウム濃度上昇
発表者・研究者等情報
ブランダイス大学生物学部
ジヒェ ヨン ポストドクトラルフェロー
スティーブン ナリッシュ 専任研究員
ローリー チェン 大学院生
ニキラ クリシュナン 研究当時:ポストドクトラルフェロー
サム ベイツ 大学院生
チャルミ ポルワル 研究当時:大学院生
サム ベイツ 大学院生
ピアリ セングプタ 教授
東京大学
大学院農学生命科学研究科
東原 和成 教授
佐藤 幸治 特任准教授
伊原 さよ子 助教
ノースイースタン大学
物理学部
ジンマン キム ポストドクトラルフェロー
シナ ラソウリ 大学院生
ヴィヴェク ヴェンカタチャラム 助教
論文情報
雑誌名:Nature題 名:An enteric neuron ionotropic receptor regulates salt stress resistance
著者名:Jihye Yeon, Jinmahn Kim, Koji Sato, Stephen Nurrish, Laurie Chen, Nikhila Krishnan, Sam Bates, Sayoko Ihara, Sina Rasouli, Charmi Porwal, Vivek Venkatachalam, Kazushige Touhara, Piali Sengupta
DOI: 10.1038/s41586-026-10348-3
URL:https://www.nature.com/articles/s41586-026-10348-3 [nature.com]
研究助成
本研究は、文部科学省「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)(課題番号:JPMXS0120330644)」、科研費 「特別推進研究(課題番号:23H05410)」、「基盤研究A(課題番号:23H00244)」の支援により実施されました。用語解説
(注1)線虫線虫は、体長が1 mmほどの細長く透明な無脊椎動物です。土壌や水中だけでなく動物の体内にも生息し、多様な環境に適応できます。体の構造は単純ですが、神経、筋肉、消化管を持ち、生命現象を理解するためのモデル生物として、生命科学に大きく貢献しています。
(注2)浸透圧
細胞の中と外で、溶けている物質の濃度が異なると水が、濃度の低い方から高い方へ移動します。このときの移動する力を浸透圧と言います。細胞の外側で塩分濃度が高くなると、細胞内の水が外側へ移動し、細胞が縮みます。その結果、細胞内にある物質の濃度が上昇することで細胞内環境も変化してしまい、極端な変化を起こすと細胞死が生じます。
(注3)IR
もともと神経細胞でグルタミン酸を認識する受容体だったものが、環境中の化学物質などを感知するために多様に進化した受容体群で、イオノトロピック受容体(Ionotropic Receptor)と呼ばれるものです。無脊椎動物の多くに備わっており、環境の物理化学的な状態を即時に電気信号に変換する機能を持っています。
問い合わせ先
<研究内容について>東京大学大学院農学生命科学研究科
教授 東原 和成(とうはら かずしげ)
Tel:03-5841-5109 E-mail:ktouhara@g.ecc.u-tokyo.ac.jp
<機関窓口>
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部
総務課総務チーム広報情報担当
Tel:03-5841-5484 E-mail:koho.a@gs.mail.u-tokyo.ac.jp
関連教員
東原 和成伊原 さよ子
東京大学 研究