結晶中トリウム229原子核アイソマーのクエンチ機構の解明に前進
固体原子核時計のリセットは電子が担う?
【注目の成果:共同研究・産学連携のためのチェックポイント】
![]() | トリウム229原子核は、レーザー光で直接励起できる特別な準安定な励起状態(アイソマー)を持ち、これを利用すれば、これまでにない安定な時間標準の構築が可能になると期待 |
【産学連携対象 全学共通分野 Discovery Saga】
【持続可能な開発目標(SDGs)】
【Sagaキーワード】
暗黒物質探索/原子核/準安定/GNSS/SPring-8/加速器/地殻変動/放射光/暗黒物質/衛星/励起状態/電子移動/欠陥準位/真空紫外光/経年変化/持続可能/フッ化カルシウム/温度依存性/計測技術/持続可能な開発/トラップ/レーザー/原子力/寿命/カルシウム
2026-1-9●自然科学系理学研究科教授笠松 良崇発表のポイント
X線照射による結晶中トリウム229アイソマー励起状態の脱励起が加速される現象(クエンチ)の温度依存性を測定し、結晶発光の温度依存性との相関を明らかにしました。クエンチ現象が、励起電子の拡散とトリウム原子核との相互作用で生じることを突き止め、その物理過程を説明するクエンチ機構モデルを構築しました。
固体原子核時計の動作に必要な原子核状態の初期化(リセット)を担うクエンチ機構の理解を進め、高精度原子核時計の実現にまた一歩前進しました。
発表概要
現在、1秒の定義や衛星測位システムに用いられている原子時計をさらに超える高精度を目指し、「原子核時計」の実現に向けた研究が世界的に進展しています。トリウム229原子核は、レーザー光で直接励起できる特別な準安定な励起状態(アイソマー)を持ち、これを利用すれば、これまでにない安定な時間標準の構築が可能になると期待されています。岡山大学大学院環境生命自然科学研究科のMing Guan大学院生(研究当時)、学術研究院先鋭研究領域(異分野基礎科学研究所)の吉村浩司教授、吉見彰洋准教授、高輝度光科学研究センター(JASRI)の依田芳卓特任研究員、永澤延元研究員、京都大学複合原子力科学研究所の瀬戸誠教授、北尾真司准教授、理化学研究所光量子工学研究センターの山口敦史専任研究員、同仁科加速器科学研究センターの重河優大客員研究員、羽場宏光室長、同放射光科学研究センターの玉作賢治チームリーダー、大阪大学大学院理学研究科の笠松良崇教授、産業技術総合研究所の渡部司上級主任研究員、ウィーン工科大学のThorsten Schumm教授による国際共同研究グループは、大型放射光施設SPring-8(BL19LXU)の高輝度X線を用い、結晶中に埋め込んだトリウム229アイソマーの脱励起を能動的に加速(クエンチ)させる実験を詳細に行い、未解明であるクエンチ現象の物理機構の解明を試みました。これは、固体型原子核時計の動作に不可欠な「核状態の初期化(リセット)」に対応する重要な過程です。
クエンチの温度依存性の解析や結晶発光の温度依存性との相関から、この現象は励起された電子が結晶中を拡散し、トリウム原子核と相互作用してエネルギーを受け渡すことで生じていることを示し、その機構を説明するクエンチ機構モデルを構築しました。本成果は、小型で可搬性に優れる固体型原子核時計の実現につながり、将来の衛星測位システムや地球重力場観測などの応用や、暗黒物質探索や基礎物理定数の変動検証といった基礎物理学研究の発展にも寄与する重要な一歩となります。
本研究成果は、2026年1月8日に米国の物理学誌Physical Review Lettersに掲載されました。
研究の背景
人類はこれまで、レーザー光によって原子核のまわりを回る電子を励起し、物質の構造解析から量子技術まで、さまざまな科学分野を発展させてきました。しかし昨年から今年にかけて、当グループを含む複数の研究チームが、史上初めて原子核そのものをレーザーで励起することに成功し、大きな注目を集めています。この実験で用いられたトリウム229の原子核は、わずか8.4eVという非常に低いエネルギーの励起準位(アイソマー)を持ち、レーザー光で直接励起できる唯一の原子核として知られています。原子核の状態は外界の影響を受けにくく極めて安定なため、この励起・脱励起を時間の基準に利用することで、既存の原子時計を超える高精度を持つ「原子核時計」の実現が期待されています。
原子核時計は、全地球測位システム(GPS/GNSS)や重力変化を利用した地殻変動観測など、新しい地球・宇宙計測技術への応用が見込まれています。さらに、暗黒物質の探索や物理定数の経年変化を調べるといった基礎物理の最前線研究にも活用できると考えられています。
こうした原子核の優れた外界からの隔離性ゆえに、固体結晶に埋め込んだ状態でも高精度を実現できるという利点があります。このため、小型で可搬性に優れた「固体型原子核時計」の開発が注目されています。一方で、固体原子核時計を動作させるためには、計測サイクルごとに核の励起状態を瞬時に初期化(リセット)する必要があります。そのような時計サイクルを動作させるためには、結晶中で10分もの長い寿命を持つアイソマーを能動的に素早く基底状態へ戻す、いわゆる脱励起が加速される現象(クエンチ)が鍵を握ります。当グループは昨年、このクエンチ現象を初めて実験的に実証し、他のグループからも類似の研究が報告されました。しかし、クエンチ現象を引き起こしているメカニズムは依然として謎のままであり、このリセット機構の理解が今後の原子核時計研究の重要な課題となっています。
研究の内容
本研究では、大型放射光施設SPring-8の高輝度X線を用い、ウィーン工科大学と共同開発したトリウム229をドープしたフッ化カルシウム(CaF₂)結晶を対象に実験を行いました。図1(a)に示すように、トリウム229原子核の基底状態に約29 keVのX線を照射すると、その一部が準安定な励起状態(アイソマー)へ遷移します。照射を止めると、このアイソマーは平均寿命約10分で真空紫外光(波長148 nm)を放出して基底状態に戻ります。我々のグループは以前、X線照射中のみ寿命が短くなる現象(クエンチ)を発見しました。本研究では、このクエンチの温度依存性とその物理的要因を明らかにすることを目的としました。試料結晶の温度を真空槽内で室温から約−160℃までの間で制御し、脱励起光(真空紫外光)とX線照射後の結晶が発する蛍光(残光)を測定する実験を行いました。図1(b)は、照射中に生成されるアイソマー数の時間変化を室温と低温で比較した結果です。照射を開始するとアイソマー数は増加し、やがて励起と脱励起(クエンチ効果も含む)が釣り合って一定に達します。この飽和時間から照射中のクエンチ寿命を求めた結果、低温ほどクエンチ寿命が長くなりアイソマー生成数が増えることが分かりました。図2(a)は温度ごとのクエンチ効果による寿命をまとめたもので、後述するモデル曲線との一致から、結晶中で励起された電子がクエンチに関与している可能性が高いことを示しています。さらに図2(b)では、アイソマー生成数と照射後に観測される結晶の残光強度を比較しました。この残光は励起電子の緩和過程で生じる光としてよく知られており、その温度依存性がアイソマー生成数の温度依存性とよく一致しました。このことからも、励起電子がクエンチを促進する主要な要因であることが分かりました。
これらの結果を踏まえ、図3に示す電子拡散・捕獲モデルを構築しました。X線照射で励起された電子は結晶中を拡散し、トリウム近傍の欠陥準位にトラップ(捕獲)されます。その際、トラップ電子とアイソマーの相互作用により、電子が励起されると同時に原子核が脱励起(クエンチ)すると考えられます。このモデルは電子の拡散速度が温度に依存することを自然に説明し、実験結果ともよく一致します。さらに、図2(b)に見られる−60℃付近で局所的にクエンチ効果が弱まる挙動についても、拡散電子がその温度領域で結晶内欠陥にトラップされやすくなると仮定すれば理解できます。

図1. (a) トリウム229準位図(関係する基底状態及び励起状態)。(b) X線照射時間に対する生成アイソマー数の増加の測定データ。室温(36℃)と低温(-120℃)の比較。

図2. (a) アイソマークエンチの寿命と温度の関係。(b) 生成アイソマー数および結晶残光強度と結晶温度との関係。

図3. 得られた測定データをもとに構築したアイソマーのクエンチモデル。結晶にX線を入射して励起された電子がCaF₂結晶中を拡散し、その一部がトリウム近傍の欠陥準位にトラップされてトリウム229アイソマーにある原子核と相互作用してクエンチが生じる。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究は、固体中における電子と原子核の相互作用を通じて核のエネルギー状態を能動的に制御できることを明確に示した成果です。特に、X線によるトリウム229アイソマーのクエンチ現象を詳細に解析し、そのメカニズムを温度依存性から明らかにした点で、固体型原子核時計のリセット原理の理解を大きく前進させました。今後は、電子移動に関するより定量的な解析や、レーザー励起との統合実験を進めることで、原子核時計の安定動作や高効率な初期化手法の確立を目指します。これにより、次世代衛星測位システムや精密測地のみならず、暗黒物質探索や物理定数変動の検証といった基礎物理研究にも大きく貢献することが期待されます。論文情報
論 文 名:X-ray-induced quenching of the 229Th clock isomer in CaF₂
掲 載 誌:Physical Review Letters
著 者:Ming Guan1, Michael Bartokos2, Kjeld Beeks2, Hiroyuki Fujimoto3, Yuta Fukunaga1, Hiromitsu Haba4, Takahiro Hiraki1, Yoshitaka Kasamatsu5, Shinji Kitao6, Adrian Leitner2, Takahiko Masuda1, Nobumoto Nagasawa7, Koichi Okai1, Ryoichiro Ogake1, Martin Pimon2, Martin Pressler2, Noboru Sasao1, Fabian Schaden2, Thorsten Schumm2, Makoto Seto6, Yudai Shigekawa4, Kotaro Shimizu1, Tomas Sikorsky2, Kenji Tamasaku8, Sayuri Takatori1, Tsukasa Watanabe3, Atsushi Yamaguchi4, Yoshitaka Yoda7, Akihiro Yoshimi1, and Koji Yoshimura1
1. Research Institute for Interdisciplinary Science, Okayama University, Okayama, Japan.
2. Institute for Atomic and Subatomic Physics, TU Wien, Vienna, Austria.
3. National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST), Tsukuba, Japan.
4. RIKEN, Wako, Japan.
5. Graduate School of Science, Osaka University, Toyonaka, Japan.
6. Institute for Integrated Radiation and Nuclear Science, Kyoto University, Kumatori-cho, Japan.
7. Japan Synchrotron Radiation Research Institute (JASRI), Sayo-cho, Sayo-gun, Hyogo, Japan.
8. RIKEN SPring-8 Center, Sayo-cho, Sayo-gun, Hyogo, Japan.
D O I:10.1103/75bb-thn7
U R L:https://journals.aps.org/prl/accepted/10.1103/75bb-thn7
本研究は、独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(JP21H04473, JP23K13125, JP18H04353, JP24K00646, JP24H00228, JP24KJ0168, JP25K17413, JP25H00397)、戦略的創造研究推進事業(CREST: JPMJCR24I6)、EU-ERC(No.856415 (nuClock)), Austrian Science Fundの支援を受けて実施しました。
SDGsの目標

大阪大学 研究